鳥を記す

はじめまして。さいたま市とその周辺で、野鳥を中心とした自然観察を楽しんでいます。おもに鳥についてのブログになると思いますが、鳥の写真はありません。風景と植物だけです。

バトルの秋 その2

 

  ハクセキレイはもともと気が強いのか、季節に関わらず、しょっちゅう他の鳥を攻撃しているのを見る。体のずっと大きいコアジサシも、攻撃しまくって追い散らす。コアジサシだってけっこう怖い鳥で、その繁殖地にみだりに踏み込むと、人間も恐れずに突っかかって来るのに。そのハクセキレイが、秋には同種同士でよくケンカしている。

 彼等はこの季節になると、澄んだきれいな声で鳴く。さえずり、というよりは、ぐぜり、という感じの鳴き方である。ケンカのときにもこの声を出す。美しい声で鳴きながら、2羽が飛びあがり、翼のパンチとキックの応酬を始める。やがて、一羽が一方的にもう一羽を追い回して決着がつく。追い回すだけのことも多い。

 ハクセキレイはペアの形成が早く、冬のうちから雄雌2羽で行動していたりする。この時季から、雄の間で雌の争奪戦が始まっているのかもしれない。しかし、争う相手は雄同士とは限らないのである。雌同士もあるし、雄が雌を追い散らしていることもある。雌を相手にしたケンカの目的は何なのだろう? 雌と思っているのは実は若鳥で、「子別れ」かもしれない。よし、そのへんを今日はちゃんと確認しよう…という時に限って、ハクセキレイに一羽も会えない。

バトルの秋 その1

バトルの秋 その1

 繁殖期には、いろんな場所でいろんな鳥の争いが勃発する。1対1、ペア対ペア、同種同士はもちろん、異種混合もある。何しろ、つがいの相手や縄張りの確保、言いかえれば自分の遺伝子の存続がかかっているのだ。みんな気が立っていて、一触即発状態なのだろう。

 秋にも争う鳥がいるが、繁殖期と違って、その理由がよくわからないことがある。わかりやすいのはモズ。やかましいほどの高鳴きに、取っ組み合い。縄張り争いである。晩秋に渡ってくるジョウビタキの争いも、縄張りの攻防戦である。雄同士、雌同士、雄対雌、両性入り乱れての三つ巴。あっちでもこっちでも小競り合いが繰り返された後、毎年だいたい同じような縄張りに収まる。

 

 秋の争いの理由がわからない一例がイソシギである。彼らの場合、争いといっても取っ組み合う訳ではない。鋭く鳴きながら、一羽がかなり執拗にもう一羽を追いかけ回す。彼等は雌雄同色なので、どういう理由なのか想像がつかない。成鳥が幼鳥を追い回しているなら、「子別れ」と考えられる。羽縁を見れば成・幼の識別はできるが、双眼鏡だけだとそこまで見えないことの方が多い。結局、解明をあきらめてしまう。

 もしかしたらイソシギも、モズやジョウビタキ同様、秋から春は一羽だけの縄張りをかまえるのかもしれない。確かに、彼等はたいてい単独行動をしている。複数でいるのは繁殖期から育雛期、そして秋のバトルの時だけのような気がする。ある夏の日、4,5羽のイソシギが一列、縦に並んで川辺を歩いていた。こんなシーンは40年間鳥を見ていて、一度しか見たことがない。

 一羽だけの縄張りをかまえるなら、他のイソシギはすべてライバルである。子供も配偶者も例外ではない。縄張りから出て行ってもらわなければならない。これからのきびしい季節は、自分の食べ物を確保するのが第一優先だ。生活、というよりも生命がかかっているのだ。そう考えれば、とにかく執拗なあの追い回し行動が納得できる。

 ちなみに、私の好みの問題であるが、イソシギはやはり一羽でいるのが似合っている。一羽のイソシギがいると、自然度の高い水辺はもちろん、三面コンクリートの水路のような場所でも、なんとなく絵になる。一方、前述の一列縦隊のイソシギは、どこかぎごちなく、絵になるというよりも、つい吹き出してしまうような滑稽さがあった。

<家族で過ごすことに慣れていない>…そんな雰囲気があったことを思い出した。

謎解きの季節

 サシバの渡りというと、伊良湖岬や白樺峠の壮大な光景を思い浮かべる人が多い。そういう渡りの名所は言わば “空の高速道路”の、ほんの一部である。東北や関東北部の繁殖地から越冬地である東南アジアへつながる壮大な “空の高速道路”は、サシバにしか見えない。しかし知りたい、どうしても知りたいと、渡りルートの謎解きにハマってしまう人々がいる。彼らの努力により、関東地方の渡りルートが少しずつ解明されてきたが、まだまだ、分からないことの方が多い。

 

 埼玉県については、サシバ達は江戸川や利根川を越えて入ってきて、天覧山飯能市)や中間平(寄居町)など西部の山地を通って出てゆく。これぐらいしか分かっていなかったが、数年前、けっこう多くのサシバが県東部、蓮田市の農耕地を渡っていることが明らかになった。蓮田の南西に天覧山がある。これでルートがつながったね!と喜ぶのはまだ早い。ここに埼玉県内のサシバの渡り最大の謎がある、と私は思っている。

 

 8月下旬から9月の初め、サシバ蓮田市周辺に姿をあらわし始める。9月10日前後には渡りのピークを迎え、その後は数が減る。年によって違いはあるが、近年はこのパターンが多い。一方、西の天覧山では、渡りのピークは大体お彼岸前後である。蓮田のピークと、10日から2週間ほどのズレがある。蓮田を通るサシバ天覧山ルートを通らないのではないか?という説もある。それなら、どこを通っているのか? 蓮田から先の目撃情報がほとんどない。見えないほどの高さで都心部を渡っている、という説もあるが、こうなったらお手上げである。

 以下は、根拠に乏しいが私の仮説。まだ暑さの残る早い時期に蓮田の空を飛んだサシバ達は、もしかしたら一気に“高速道路”に乗っていないのではないか? 太平洋高気圧が、まだまだ元気。越冬地へ向かうのに都合のいい風が吹かない。そんな時季である。サシバ達は埼玉県東部から中央部のあちこちにある“サシバの道の駅”で、休息と栄養をとりながら、のんびり、ジワジワと移動しているのではないだろうか? そして季節が進み、越冬地へ向けていい風が吹くようになったら、天覧山ICから高速へ…??

 サシバ渡りルートの謎解きは難しい。しかし彼らのためには、しなければならない。なぜならば“サシバの道の駅”とは、県内各地に残された緑地であり、彼らの好む食べ物がたくさん住む農耕地だからである。私達には、そういう場所を守ってゆく義務があると思う。

鳥枯れの季節

 見沼田んぼの東西2ヶ所で、毎月1回ラインセンサスをしている。依頼された調査ではない。自主的な、というより、趣味の調査である。やらなくても何のペナルティもない。しかし、やらないと落ち着かない。やらないでは、いられない。調査では約2kmの距離を1時間ほどかけて、観察しながら歩く。望遠鏡は使わないから、荷は大して重くない。それでもやはり、夏はつらい。体力的に多少つらくても、鳥が出てくれればそれなりに楽しいし、つらさが労われる。ところがこの季節は、その鳥さえも少ない。しかし、やらないと落ち着かない。

 

 本日は見沼田んぼの東部、見沼区染谷、加田屋の調査。スタート地点の雑木林はシジュウカラメジロ、春にはキビタキ、秋から冬にはホオジロ類が現れる。このコースの、一つのポイントである。しかし聞こえてくるのはセミの声だけ。しばらくして、ようやくカワラヒワが1羽。ホオジロ1羽、メジロ4羽。常連のシジュウカラは現れない。小さな湿地の周辺にムクドリが数羽、と思ったら100羽近い大群だった。もしかしたら、と双眼鏡を走らせたが、100%ムクドリ。コムクドリなし。

 加田屋川沿いの農耕地に出る。カルガモダイサギアオサギが1羽ずつ。またもムクドリの群れ。先ほどの群れほどは多くないが30~40羽はいる。これもムクドリ率100%。加田屋川をのぞくと、カルガモ9羽。家族群と思われるが、どれが親だか、もうわからない。先月まではちらほらと姿を見せていたヒバリは、全く現れない。ホオジロは、あちこちでさえずっている。突然、足元の草の茂みから、大きな羽音と共に飛びだした2羽。キジの雌だった。尾の長さが全然違う。1羽は雌親でもう1羽は若鳥かもしれない。この季節にキジに会うのは珍しい。

 

 本日の結果。観察種数13種、総個体数327羽。300羽超は意外だったが、ほとんどがムクドリの大群である。これを差し引いたら、かなりさみしい数字になる。やはり鳥枯れの季節。しかし、ムクドリの大群に出会うたびに、コムクドリがいないかとワクワク探しまわったり、想定外のキジが飛びだしたり。何だかんだで、けっこう楽しんでいる。やらないと落ち着かない、やらないではいられないのは、無意識のうちに「もしかしたら面白いことがあるかもしれない」と期待しているからかもしれない。

親の心、子知らず

 公園の木陰に、ハシボソガラスの親子がいた。子ガラスは2羽。なんとともいえない、強いて言えば“キモカワイイ”甘え声を出している。親に食べ物をねだっているのだろう。親は、積み重なった落ち葉をめくったり、地面を突いたり。まもなく一匹のミミズを引きずり出した。しかし子供には与えない。自分で食べるのかと思ったら、それもしない。獲物を地面に横たえた。ミミズは、その太さにしては、やけに短い。引きずり出す時にちぎれたのだろう。ところで子供たちは、目の前の “ミミズの切り身”を食べようともせず、キモカワイク鳴き続ける。何故、食べないのだろう? 

   親鳥は次の獲物探しを始め、すぐに2匹目のミミズを捕まえた。先ほどと同じく、子供の口に押し込むことも、自分で食べることもしない。ただ地面に置くだけである。子供たちも甘え声で鳴くばかりで食べない。3匹目のミミズも同じ。この親子、一体何をやっているんだ?

 雨上がりで地面は湿りきっている。ミミズ探しを続ける親のくちばしも、胸のあたりも泥まみれである。4匹目をゲット。女性の小指ぐらいの太さで、またしても“切り身”。もしかしたら親鳥は、子供が食べやすいように意図的にミミズをちぎっているのか? 

 鳥の子育て後半戦の季節、食べ物をねだり続ける子を無視して、自分で食べている親鳥は、よく見かける。しかし、子にも与えず自分でも食べない、というのは初めて見た。子供の目の前に食べ物(食べやすく加工されている可能性あり)を置く、という行動も初めて見た。せっかくの “据え膳”に見向きもしない子供というのも驚きである。鳥の成長過程には、「親鳥が口に押し込んでくれるもの以外は、食べ物として認識できない」という段階があるのだろうか? 

 

 立派なミミズの切り身を前にして、親はふと我に返ったように辺りを見回した。子供たちは、少し離れた所で鳴きわめいている。人間の子供だったら「ドケチ!」「クソババァ!」などと毒づくところだろう。親は視線をミミズに移し、一瞬の間をおいて、ぱくっと食べてしまった。「まったく、もう! 好き嫌いばっかり言って! ジュースとかお菓子ばっかり食べるから、ゴハンが食べられなくなるのよ!」などと毒づきながら、子供が残した料理をぱくつく人間の母親の姿が重なった。

ムクドリたちの“約束の地”

   ひと月ほど前までは、あっちの家でもこっちの家でもギャーギャー、ジャージャーとムクドリたちが大騒ぎしていた。餌運びでてんてこ舞いの親鳥たち、メシよこせ、メシよこせと騒ぎ立てる子供たち。さらに成鳥4,5羽の群れが巣の周囲をうろつきだす。この連中と、巣の主たちとの関係はわからない。少なくともヘルパーではないらしく、ただでさえ気が立っている親鳥と、しょっちゅう小競り合いを起こしている。

この騒動が突然、静かになる。子供たちが巣立ちを迎えたらしい。すると今度は、近所の畑が賑やかになる。子供を連れた家族の群れが、畑で食べ物探しをしているのである。この騒ぎもやがて静まり、ムクドリのことなんか、ほとんど忘れてしまう。

 

 そんなある日。何の気なしに、川べりや広い芝生のある公園などに行くと、度肝を抜かれる。ムクドリの群れが100羽以上に膨れ上がっているのだ。近所の畑をうろうろしていた、せいぜい6,7羽の家族の群れが、次々に合流してゆくのだろう。家庭菜園に毛が生えたような畑では足りなくなって、食糧が豊かな“約束の地”へ。そういう場所には、同じような群れが四方八方から集まってくる。そして、一斉に飛び立つと「どぉぉ…」という羽音のどよめきが聞こえるような大きな群れになる。

 

 ひさびさに大宮第三公園に行った。広い芝生にムクドリがウヨウヨ、ウヨウヨ群れている。110羽まで数えたところへ、また一群が飛んできた。数えるのをあきらめた。群れには成鳥も幼鳥もいる。割合は同じぐらい、いや、ちょっと成鳥の方が多いだろうか。今年繁殖しなかった“あぶれ組”の成鳥も加わっているのだろう。幼鳥は相変わらず「メシよこせ」と親を追い回しているが、すでに自立しているのもいる。ひとりでひたむきに地面を突きながら歩き回っている。自立したといっても、どれが食べ物なのか、まだ分かっていないように見える。

 ところで彼らは、芝生で何を食べているのだろう。ムクドリの目線に近づくためにしゃがんでみた。一面の芝の中に、シロツメクサカタバミ。これらの種を食べるのだろうか? まだ花の盛りの時期で、人間の目では、種は見つからない。キノコも2,3種類生えているが、鳥はこんな低カロリー食品は食べないだろう。キノコは、必要十分なカロリーを取っても食欲が満たされない一部の特殊な動物が、“グルメ”とか“ダイエット” 、“健康”のために食べるものだと思う。見渡してみれば、虫もいない。

 結局、あの群れの食欲を満たしているものが何なのか、分からなかった。しかし、ムクドリの目線に近づいたおかげで、芝生にもいろいろなキノコが生えるということを知った。シロツメクサの花が、とても華やかである、ということも知った。

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ゴミステーション攻防戦

  早朝に、双眼鏡をぶらさげて近所を散歩する。1時間ほど歩きまわると、けっこう、いろいろな鳥に出会えて楽しい。ところで、この日出会ったのは、ゴミを散らかしている1羽のハシブトガラスであった。

 

 その集積場では、ゴミ袋の山にネットがかぶせてあったが、重しを乗せていない。これでは何の効果もない。野菜くずやコンビニ弁当の容器が散乱する中、奴はのんびりと洗剤の箱をつついていた。ご近所のことだし、これ以上散らかされないよう、追い払う。近づいていくと、敵は数メートル先のフェンスに避難した。散乱したゴミはそれほど多くない。先を急ぐわけではないので、落ちていたレジ袋にゴミを回収した。手で触る気がしないゴミは、ネットの奥に蹴り入れた。そんなことをしていたら、通りがかりの老婦人が「カラスが見張ってるわよ」と言って、うふふと笑う。奴は、避難先のフェンスの上から、こちらをじっと睨みつけていたのだ…カラスに馬鹿にされている気がした。このゴミ集積場を死守せねば!という気になってきた。

 角を曲がったところで身を低くする。しばらく敵の様子を見張ろうと思った。しかし、どうも落ち着かない。人目が気になる。早朝の住宅地で、双眼鏡を持って潜んでいる…これは<不審者>以外の何者でもない。冗談じゃない。ゴミを散らかすカラスごときのために、不審者扱いされてなるものか! 

 作戦変更。カラスを攻撃する。バードウォッチャーが鳥を見る時にしてはいけないことを、このカラスにするのである。ドタドタと鳥に走り寄って大きな音や声を出す。この行動が、鳥の追払いに絶大な効果を持つことは何度も経験して(させられて)いる。これしかない。カラスに向かってダッシュ。さらに手をたたいて大きな音をたてる作戦。しかし2,3歩走ったところで、奴はあっさりと飛び立ってしまった。去り際に「あー」と間が抜けた声で鳴いた。すると、みっちりと繁った近くのエノキから、もう一羽が現れ、声の主を追っていった。「あー」に答えるかのようであった。

 

 彼らが飛び去った方角を探したが、姿がない。ゴミをあきらめて移動したようだ。周辺をぶらぶら歩きまわって数分後、現場に戻ってみた。ゴミは散らかされていなかった。ゴミ集積場は守られた。私はカラスに勝ったのだ! …しかし大して嬉しくもなかった。我ながら「バッカじゃないの?」という思いが残っただけであった。