鳥を記す

はじめまして。さいたま市とその周辺で、野鳥を中心とした自然観察を楽しんでいます。おもに鳥についてのブログになると思いますが、鳥の写真はありません。風景と植物だけです。

ホオジロは かく語りき

  小学生とその親を対象にした探鳥会での出来事。リーダーが「ホオジロは“一筆啓上仕り候”とさえずります」と言ったら、子供たちは皆、きょとんとしていたという。そりゃ、そうだ。自分ではまず使わない言葉である。テレビの時代劇も“絶滅危惧種”的存在だから、耳から入ってくる機会もない。彼らの親だって、分からないかもしれない。

   

   ビギナーだった頃、ホオジロのさえずりがよく分からなかった。「一筆啓上…」の意味はわかっても、さえずりがそのように聞こえない。「いくら聞いてもイッピツケイジョウ…とは聞こえません」と、ある探鳥会でリーダーに言ってみた。リーダーは50代半ばぐらいの男性だった。彼が言うには「普段使わない言葉だからだよ。今度鳴いたら、“エッチなおじさん、あっち行け”と聞いてごらん」

    …実に的確なアドバイスだった。ホオジロが、たしかに、そう言っていた。これでホオジロのさえずりが記憶にインプットされたらしい。早春に、半年ぶりにその声を聞いても悩まなくなった。様々なバリエーションがあることも、わかってきた。…誤解しないでいただきたいが、私はけして「エッチなおじさん」という言葉を頻繁に使っているわけではない。「一筆啓上…」よりも身近な言葉だったので、耳にスッと入ってきただけのことだと思われる。 

 

 その後、ホオジロの聞きなしの現代バージョンとして「サッポロラーメン、ミソラーメン」が広がってきた。『フィールドガイド日本の野鳥 増補改訂新版』(公益財団法人 日本野鳥の会)にも「一筆啓上」と並んで掲載されている。小学生に教えるには、これが妥当であろう。

 

 ところで、これらの聞きなしには共通点がある。「イッピツ」「エッチな」「サッポロ」…すべて出だしが「ッ」(促音便)である。つまり、ホオジロのさえずりの特徴は「Xッ」という強い歌い出し。それに続く部分は複雑で、言葉には置きかえられない。歌い出しの特徴から促音便が含まれる言葉を連想し、後半はその言葉に合わせて適当に作る。ホオジロの聞きなしは、こうして出来たのかもしれない。

 

ほんとに短い? カラスの行水

 雨の後、畑にできた小さな水たまりで、ハシボソガラスが水浴びを始めた。まず頭部を豪快に水に突っ込む。続いて、これまた豪快に翼をはばたかせ、水面に叩きつける。水しぶきが全身にかかる。いわばシャワーである。頭を突っ込む→全身シャワー。これを2セット繰り返したところで畑の脇の小道に上がる。おそらく1分もたっていなかっただろう。ほんとうにカラスの行水だ!と思ったら、また水に浸かって、頭を突っ込む→全身シャワー。今度は4セット繰り返し、また道へ引き上げる。なんとなく落ち着かない様子で、あたりを見回す。

  私の視線が気になるのかもしれないと思ったので、少し移動し、姿勢を低くして見ていた。するとまた、水たまりに入る。やはり見られているのが嫌だったようだ。そりゃそうだな、対象が人間だったら立派な犯罪だ、などと思いながらも観察を続ける。今度は長い。「頭浴」「全身シャワー」を延々と繰り返す。十何回か数えたが、数えるのが面倒になった。あとはただ眺めていた。そこへ、自転車に乗った人がやってきた。ここでようやく、カラスは長い入浴をやめて飛び立った。自転車が来なかったら、まだ続けていたかもしれない。

 

 結論:「カラスの行水」はけして短くない。ところで、なぜ「カラスの行水」が入浴時間の短いことのたとえになったのか、考えてみた…昔むかし、あるところに、鳥の行動を観察するのが好きな人がいた。この人はある日、水浴びをしているカラスに出会い、興味しんしん、今回の私のように観察を始めた。するとこのカラスは、私に見られたカラスのように落ち着かなくなり、ちょっと水を浴びたところで飛び立った。「うわっ、早っ!」この人は、その早さに興味を持ち、その後も水浴びをするカラスを見つけるたびに検証を繰り返す。「今度もきっと早いぞ!」「今度こそ新記録!」と、期待を込めてにカラスに近づいてゆく。当然、カラスは落ち着いて水浴びなんかしていられない…

 

 物理学の世界では、人間がある現象を観察すること自体が、その現象に影響を与えてしまうことがあるという。野生生物の行動観察においても、同様のことがあるようだ。

鳥の個性 

舳倉島から帰ってきて3日後。今度は探鳥会に参加して三宅島へ行った。朝5時に島に到着してからほぼ半日で、アカコッコ、イイジマムシクイ、ウチヤマセンニュウ、カラスバトコマドリ(亜種タネコマドリ)など、三宅に来たらぜひ見たい、という鳥は、ほとんど見てしまった。それでも飽き足らずに翌朝5時、探鳥会参加者24名のうち23名が鳥見に出かけた。

 ただ一人、宿に残った女性は、庭の餌台に来る鳥を観察していた。餌台には、女将が毎日ヒマワリの種を置いている。それを目当てにヤマガラ(亜種オーストンヤマガラ)がくる。ヒマワリの種を手のひらに乗せて待っていると、飛んできて手にとまることもある。「やってみたら?」と女将に勧められ、この女性もヒマワリの種を手のひらに乗せてみた。そして早朝探鳥組が孵ってくるまでの間、とても面白い観察をしたという。

 彼女の発見 その1 「餌台に来るのはヤマガラだけではなく、シジュウカラカワラヒワも来るが、餌台で食べるのはヤマガラだけ」 カワラヒワシジュウカラは種をくわえて飛び去ってしまう。

 彼女の発見 その2 「手にとまるのはヤマガラだけ。で、面白いのはここからなのよ」 手にとまると言っても一羽一羽、とまり方がちがうそうだ。迷うことなく手のひらの真ん中にとまる鳥。ます指先にとまり、そこからチョンチョンと移動してくる鳥。他の場所にとまって散々迷った挙句、手に飛んでくる鳥。迷って、結局来ない鳥。鳥さまざまで、見ていて飽きることがなかったという。

“おみくじの鳥”ヤマガラである。野鳥の中では人に慣れやすい、ということには「間違いないだろう。しかし、その慣れ方に個性がある。おみくじの芸も、あっという間にマスターした優等生もいれば、結局覚えられずに逃げ出した、あるいは捨てられた子もいたのだろう。

「○○という鳥は、人に慣れやすい」というのが、その種の特徴のひとつだと思い込まれたために、不幸な目に遭った鳥も多いことだろう。鳥とのつきあいでも、思い込みはよくない。思い込む前にその種をじっくりと観察しなくてはならない。

宿に残ってヤマガラを観察していた彼女は、早朝探鳥でいろいろな鳥を見ること以上に、貴重な経験をしたと思う。

f:id:doroyon:20150522171947j:plain

今回の三宅島は新しい船「橘丸」で行きました。以前の船よりも、甲板からの海鳥観察がしやすくなったと思います。ただし、船内で缶ビールを買う時には免許証が必要です!(タバコもナントカ?が必要だとか…吸わないので判りませんが)

シロハラホオジロ命名の謎

   相性が悪いのか振られっぱなしで、ウラジオストックまで行っても振られたシロハラホオジロに、ついに会えた。2015年5月4日、舳倉島の水場近く。草むらに見え隠れする白黒の縞模様の頭。これこれ、この縞模様が見たかった~! 白・黒・白・黒と、ほんとに縞模様だ! あれ、何言ってるんだろう? 感激のあまり、何が何だかわからん!!… といった興奮状態が収まって、気がついた。「この鳥は、顔のインパクトが強すぎて、他の部分の印象が薄い、というか、あまりない」。

 周囲のカメラマン達からも、こんな会話が聞こえてきた。「腹の白いところ、撮れなかったよ」「腹、白かった?」「いや、シロハラっていうほど白くなかったぜ」…そのとおり、腹なんてほとんど目立たないのである。いったいなんでシロハラホオジロという名前がついたのか? 目を引くほどに腹が真っ白だったとしても、多くの人はそれ以上に、特徴だらけの頭に目を奪われるだろう。そこを敢えて腹に注目した人が命名したのだろうか? たしかに下から見れば、腹が白いかもしれない。しかし、草むらの中を動き回ってばかりのこの鳥を見上げる機会は、めったになさそうである。それなのに、なぜ? カシラダカオオジュリンの方がよほど“シロハラホオジロ”だ。

 言い方を変えれば、あれだけインパクトのある頭の縞模様が、名前に反映されていないのが惜しい。もっと特徴を活かした名前はないものか? “スイカホオジロ”…どなたかのブログに、頭はスイカのような模様、と書かれていた。 “ダイモンジホオジロ”…正面から見ると白い線が「大」の字になっている、と書いてある図鑑があった。これなんか、いいかもしれない。

 

 鳥の標準和名を見直そうとなった時に、真っ先に候補にあがるのがアホウドリ、その次はシロハラホオジロじゃないか? と思うぐらいに、へんな名前である。それにしても、この鳥に会うことがなかったら、その名前の違和感に気づくこともなかっただろう。

食べて、歌って

 4月の中頃になると、近所の緑地で早朝探鳥をします。狙いはもちろん、繁殖地へ向かう旅鳥たち。一番乗りはセンダイムシクイで、4月20日前後には「焼酎いっぱいグィー」が聞かれます。その次に来るのが、普通はオオルリのようですが、この緑地にはあまり現れません。そしてその次がキビタキ! 

 彼らのさえずりは控えめに始まります。「あの~、ちょっと、さえずっちゃってもいいですかねぇ?」という感じで歌い出すのですが、そのうちエスカレートしてきて、“マイク持ったら離さない”状態。その複雑さといったら、とても「聞きなし」なんてできませんが、時々「チョットコイ、チョットコイ」とか「うれピー、うれピー」などのフレーズが入り、ほんとうに嬉しそうに聞こえます。

 こうなると姿が見たくなります。でも追い回しません。その場で静かに、ひたすら待ちます。そのうちチラッと、葉が動く。その動きを双眼鏡で捉える。視野には揺れ動く葉だけ。それでもあきらめずに待っていると、再びチラッ。葉が繁って見にくいけれど虫を捕まえているようです。この状況では、そんなに遠くには移動しません。動きを捉えたポイント周辺を探していると、ついにご開帳!!となることが、けっこうあります。

 彼らは「歌いたい(子孫を残したい)」「食べたい」という二つの本能に突き動かされているのでしょう。食べ物探しで動き回ったかと思うと、またさえずり始めます。時にはイモムシをくわえたまま、さえずっていることもあります。口に食べ物が入った状態で上手に歌うなんて離れ業は、人間には不可能でしょう。しかしキビタキは虫をくわえたまま、声量は多少落ちるものの、ちゃんとさえずれるのです。さすが鳥だなぁ…

 ところで彼らは繁殖地でも、食べながらさえずるのでしょうか? とにかく空腹を満たさないと先へ進めないという、過酷な旅の途中だからこその行動なのでしょうか?「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ(食べて、歌って、愛して)」というのがイタリア人の人生観だそうですが、鳥の場合はどの行動も命がけ、という気がします。「うれピー、うれピー」と実に楽しげに聞こえる彼らのさえずりですが、本当に楽しい気持ちで歌っているの? …鳥の気持ちがわかればなぁ、と思います。

 

カラス語あれこれ

 「ハシブトガラスはカーカーと澄んだ声、ハシボソガラスはガーガーと濁った声」 鳥見のビギナーだった頃、こんなふうに習いました。あれからX十年、この“法則”には例外がある、あるなんてものではない、けっこう多い、ということが分かってきました。ハシブトガラス(以下、ブトと略記)も濁った声で鳴くんです。ただ、ハシボソガラス(以下、ボソと略記)の濁り声とはちょっと違います。濁点つきの「あ」というのかな? よくマンガでありますね。ケンカを売られたヤンキーのお兄さんが「あー?もういっぺん言ってみろっ」なんてときに「あ」に濁点がついている。そういう声です。一方、ボソの濁り声は、風邪をひいた人のような、いわゆる“しゃがれ声”。もちろん、これにも例外があって、ほんとに難しいのです。

 

 探鳥会の最後に、観察した鳥を確認するとき(業界用語では「鳥合わせ」という)、リーダーが「カラスは両方いましたか?」と聞くと、参加者は打てば響くように「ハーイ」という。そして「カーカーじゃない声も聞こえたよね」とか話している。「おいっ! それでいいのか? 声じゃ判定つかないぞ! ちゃんと姿も確認しているんかいっ!?(濁点つきで)あ~?」と物言いをつけたいけれど、気弱な私にはムリ。言いたいことが言えずモヤモヤしたまま、家路につくことが時々あります。

 

 ところで私は、ブトの濁り声の意味が分かったような気がしたことがあります。初夏のある日、マイフィールドの雑木林を徘徊していた時。濁点つきの「あ~」の声が降ってきました。頭上2、3メートルの枝に1羽のハシブトガラス。枝の付け根にもう1羽。こっちは口角が赤っぽい幼鳥。親子でしょう。親鳥は明らかに私を睨みつけています。攻撃してくるかな?と思ったので、その場で立ちどまりました。またひと声「あ~」。そして、またひと声鳴くと、雑木林の奥か2羽のブトが飛んできて、近くの木にとまりました。これも1羽は成鳥、もう1羽は子供。最初に鳴いたカラスが再び「あ~」。カラスたちから目をそむけ、その場を離れました。その後も「あ~」が3,4回聞こえてきましたが、やがて静かになりました。攻撃は受けませんでした。

 おそらく、この4羽は家族なのでしょう。そして濁点つきの「あ~」は、「怪しい奴が来たぞ!みんなお父さん(お母さん?)のところに集まっておいで」という意味だったのではないでしょうか? さらに私に向けては「痛い目に遭いたくなかったら立ち去れ、コノヤロー、あ~?」というメッセージを発していたのでしょう。<カラス語>が一つ、分かったような気がして嬉しくなりました。

 

 ブトの典型的な「カーカー」あるいは濁点のない澄んだ「アーアー」の意味はさっぱりわかりませんが、仲間と何らかの会話をしているようです。というのは1羽が「カーカー」と鳴くと、返事が返ってくることが多いからです。すぐ近くにいるのが答えたり、ちょっと間があってから遠くの方で答えたり。いくら鳴いても返事が返って来ない時は、鳴いている子がちょっと心配になりますが、返事が返ってくると、「一人じゃないんだね」と、ほっとします。

 

 ブトは他にも色々な鳴き方をします。まるで『魔笛』の「パパゲーノの歌」でも歌っているように「パ、パ、パ、パ、パ」と鳴き続けていることもありました。閉じたくちばしを一気に開くことで、破裂音を出しているのかもしれません。最近は「アッ、アウッ、アッ、アウッ、」と繰り返し鳴いているのを聞きました。この「ア」はすべて、濁点なしの澄んだ声です。最初の「アッ」は、「クァッ」とも聞こえる声で、喉の奥の方で声を出しているような感じでした。次の「アウッ」の前に一瞬くちばしを閉じるので、かすかに、パチッという音が入ります。ちなみにパパゲーノにもアッ、アウッ、にも返事はありませんでした。もしかしたら一人で、いろいろな鳴き方を楽しんでいるのかもしれません。

 

 澄んだ声を出すボソも、何回か観察したことがあります。面白かったのは、昔住んでいたマンションのゴミ集積場でのこと。十数羽集まってきたカラスは1羽を除いてすべてブト。お互いにカーカー鳴き合っていました。その中で、たった1羽のボソが、やはり「カーカー」と鳴いていました。このボソは特にいじめられている様子はありませんでしたが、完全に仲間扱いされているわけでもなく、集団の端の方にいました。同じように鳴くことによって攻撃を防いでいたのか? それとも単なる物まねだったのか? ただ、鳴くときの姿勢はボソそのもの。お辞儀をしながら「カーカー、カーカー」と鳴き続けていたのでした。

vs カケス

    <前回の続きです> オオタカのまねをするカケスにだまされてから数年がたちました。 彼らは毎年、秋になるとマイフィールドのあちこちに現れ、いろいろ怪しげな声を出します。しかし、この時季にオオタカの鳴きまねをしているのを聞いたことがありません。冬が過ぎ、春めいてくると「キッキッキッ…」「ピャァ」と始めるのです。まさに本物が鳴き始める季節です。この季節に、どこかで本物の声を聞いてきて、まねを始めるのでしょうが、オオタカを心待ちにしている立場としては、紛らわしくて困るのです。

 さすがに最近では、真贋が少しずつ分かってきました。鳴きまねには、ひとことで言えば「なんちゃって感」があるのです。もう少し具体的に説明しましょう。

① まずニセモノは声が小さい。本物に比べると、声量がないのです。

② 本物は「キッキッキッキッ…」と長く鳴き続けますが、ニセモノは「キッキッ」「キッ」など、すぐに止めてしまうことが多いように思います。

③ ♀の声と思われる「ピャー」のほうは聞き分けが難しく、ひと声だけ「ピャー」と鳴かれると、正直言って分かりません。しかし「ピャー」と鳴いているのが2羽以上いるようなら、ニセモノと思ったほうがいいようです。初夏、オオタカの幼鳥が育つ頃には、親鳥だけでなく幼鳥もこの声を出すので、ピャーピャーピャーピャーとけっこう賑やかなのですが、早春にはまだ幼鳥はいません。それでは、幼鳥がよく鳴く頃にはどう判別するか? ・・・その頃にはカケスはこの辺にいないので、だまされる心配はありません。

④ すぐに地声を出します。

…などと、聞き分けるポイントが分かってきたように思うのですが、それでも時々、迷います。本物っぽいけれど、一抹のウソ臭さがあるような、ないような…姿も確認できずに、結局、判定不可能でスゴスゴと退散することも、しょっちゅうです。

 

 早春のある日。数年連続で、オオタカが繁殖しているある森を訪れました。今年も来てくれるといいな、と期待しながら…しかし、そこは「オオタカものまね大会」の会場と化していました。しかし真贋を見極める努力なんか要りやしません。みんなヘタなのです。あっちでもこっちでも「キッキッ」「キッキッ」「ピャー」「ピャー」と、ヘタクソな連中が大騒ぎです。それも、かつてない賑わい。今年は特にカケスの飛来数が多かったのでしょう。しばらく聞いているうちに…「うるさいんだよっ」と怒鳴りたくなってきましたが、こいつらは北斗晶さんに一喝された恐竜のようには沈黙しないでしょう…いったん退散。 

  ちょっとコンビニへ行って、戻ってきてみると、オオタカヘタクソものまね大会はまだ続いていました。何故ここまで、オオタカの物まねにこだわるのか? 何の目的があるのだろう? 不思議です。 

 その時。「キッキッキッキッ」と、ひときわ大きく、朗々と響き渡る声。キーキーチーチーと鳴きだすメジロたち(メジロ、いたんだ。気がつかなかった)。ジェージェーギャーギャーと地声で騒ぎまくる大会参加者たち。冬枯れの木々の間を滑るように飛んできた1羽が、営巣木近くの枝にとまりました。ついに本物登場! 頭や背の青灰色が濃く、眉斑もくっきり。♂と思われる美形の成鳥です。この本物を前にして、敢えてものまねを披露しようとする勇気ある者は現れず、彼らはしばらく地声で騒いだ後、静まり返ってしまいました。延々と続いたものまね大会は、本物の登場であえなく閉幕となったのでした。

 やったね! その時は、長年私をだましてきた連中にひと泡吹かせたような気分になりました(と言っても、私は何もしていないのですが)。しかし、気が緩んだのでしょうか? 数日後、また同じ手口で、まんまとだまされました…模倣者たちとの抗争は、まだまだ続くことでしょう。