鳥を記す

はじめまして。さいたま市とその周辺で、野鳥を中心とした自然観察を楽しんでいます。おもに鳥についてのブログになると思いますが、鳥の写真はありません。風景と植物だけです。

親の心、子知らず

 公園の木陰に、ハシボソガラスの親子がいた。子ガラスは2羽。なんとともいえない、強いて言えば“キモカワイイ”甘え声を出している。親に食べ物をねだっているのだろう。親は、積み重なった落ち葉をめくったり、地面を突いたり。まもなく一匹のミミズを引きずり出した。しかし子供には与えない。自分で食べるのかと思ったら、それもしない。獲物を地面に横たえた。ミミズは、その太さにしては、やけに短い。引きずり出す時にちぎれたのだろう。ところで子供たちは、目の前の “ミミズの切り身”を食べようともせず、キモカワイク鳴き続ける。何故、食べないのだろう? 

   親鳥は次の獲物探しを始め、すぐに2匹目のミミズを捕まえた。先ほどと同じく、子供の口に押し込むことも、自分で食べることもしない。ただ地面に置くだけである。子供たちも甘え声で鳴くばかりで食べない。3匹目のミミズも同じ。この親子、一体何をやっているんだ?

 雨上がりで地面は湿りきっている。ミミズ探しを続ける親のくちばしも、胸のあたりも泥まみれである。4匹目をゲット。女性の小指ぐらいの太さで、またしても“切り身”。もしかしたら親鳥は、子供が食べやすいように意図的にミミズをちぎっているのか? 

 鳥の子育て後半戦の季節、食べ物をねだり続ける子を無視して、自分で食べている親鳥は、よく見かける。しかし、子にも与えず自分でも食べない、というのは初めて見た。子供の目の前に食べ物(食べやすく加工されている可能性あり)を置く、という行動も初めて見た。せっかくの “据え膳”に見向きもしない子供というのも驚きである。鳥の成長過程には、「親鳥が口に押し込んでくれるもの以外は、食べ物として認識できない」という段階があるのだろうか? 

 

 立派なミミズの切り身を前にして、親はふと我に返ったように辺りを見回した。子供たちは、少し離れた所で鳴きわめいている。人間の子供だったら「ドケチ!」「クソババァ!」などと毒づくところだろう。親は視線をミミズに移し、一瞬の間をおいて、ぱくっと食べてしまった。「まったく、もう! 好き嫌いばっかり言って! ジュースとかお菓子ばっかり食べるから、ゴハンが食べられなくなるのよ!」などと毒づきながら、子供が残した料理をぱくつく人間の母親の姿が重なった。