鳥を記す

はじめまして。さいたま市とその周辺で、野鳥を中心とした自然観察を楽しんでいます。おもに鳥についてのブログになると思いますが、鳥の写真はありません。風景と植物だけです。

食べて、歌って

 4月の中頃になると、近所の緑地で早朝探鳥をします。狙いはもちろん、繁殖地へ向かう旅鳥たち。一番乗りはセンダイムシクイで、4月20日前後には「焼酎いっぱいグィー」が聞かれます。その次に来るのが、普通はオオルリのようですが、この緑地にはあまり現れません。そしてその次がキビタキ! 

 彼らのさえずりは控えめに始まります。「あの~、ちょっと、さえずっちゃってもいいですかねぇ?」という感じで歌い出すのですが、そのうちエスカレートしてきて、“マイク持ったら離さない”状態。その複雑さといったら、とても「聞きなし」なんてできませんが、時々「チョットコイ、チョットコイ」とか「うれピー、うれピー」などのフレーズが入り、ほんとうに嬉しそうに聞こえます。

 こうなると姿が見たくなります。でも追い回しません。その場で静かに、ひたすら待ちます。そのうちチラッと、葉が動く。その動きを双眼鏡で捉える。視野には揺れ動く葉だけ。それでもあきらめずに待っていると、再びチラッ。葉が繁って見にくいけれど虫を捕まえているようです。この状況では、そんなに遠くには移動しません。動きを捉えたポイント周辺を探していると、ついにご開帳!!となることが、けっこうあります。

 彼らは「歌いたい(子孫を残したい)」「食べたい」という二つの本能に突き動かされているのでしょう。食べ物探しで動き回ったかと思うと、またさえずり始めます。時にはイモムシをくわえたまま、さえずっていることもあります。口に食べ物が入った状態で上手に歌うなんて離れ業は、人間には不可能でしょう。しかしキビタキは虫をくわえたまま、声量は多少落ちるものの、ちゃんとさえずれるのです。さすが鳥だなぁ…

 ところで彼らは繁殖地でも、食べながらさえずるのでしょうか? とにかく空腹を満たさないと先へ進めないという、過酷な旅の途中だからこその行動なのでしょうか?「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ(食べて、歌って、愛して)」というのがイタリア人の人生観だそうですが、鳥の場合はどの行動も命がけ、という気がします。「うれピー、うれピー」と実に楽しげに聞こえる彼らのさえずりですが、本当に楽しい気持ちで歌っているの? …鳥の気持ちがわかればなぁ、と思います。